2014年10月11日:宮城県山元町
【陽光桜・植樹祭〜宮城への想い〜】

陽光桜の植樹祭が、2014年10月11日、宮城県山元町で行われました。この植樹祭を主催したのは、山元町出身の歌手、こおり健太さんの後援会で、東日本大震災で被災した山元町に満開の桜の花を咲かせ、傷ついた町民の心を癒してもらい、復興のシンボルにしてもらおうという思いで行われました。

山元町

山元町は、東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた地域の一つです。被災から3年半たった海岸線には、流失した防潮堤の修復が行われていました。また、海岸近くの中浜小学校は、大震災の伝承や遺構保存の有無などの検討が続いているという事です。

植樹に採用された陽光桜

今回、植樹に採用された陽光桜は、遠赤青汁株式会社代表取締役高岡照海さんのお父さんが、25年かけて品種改良を重ね作り上げた、どのような気候でも花を咲かせる強くて綺麗な桜です。品種改良を重ねた理由は、高岡さんのお父さんが、戦時中、青年学校の教師をしていた時、「桜の下に帰ってこい」と送り出した教え子の多くが戦地に散りました。その悔恨の思いと平和への願いを込めて、日本全国はもとより、海外にも寄贈を続けています。高岡さんもその思いを引きつぎ、陽光桜の苗木の寄贈は、40年間に渡ります。

記念式典

記念式典においては、地元中学校の吹奏楽部の生徒の合唱、陽光桜を寄贈した「さくら振興議員連盟」の国土交通副大臣兼内閣府副大臣兼復興副大臣の西村明宏衆議院議員や、公明党の輿水恵一衆議院議員、浜地雅一衆議院議員、矢倉克夫参議院議員が、駆けつけ祝辞を述べました。
高岡照海さんは、「戦争ぐらい惨めことはない、送り出した生徒は、自分が殺したのではないかという思いで、父はやるしかなかった。実は、11月にベトナムで、植樹をする。これは国家事業になりました。また来年は、ミャンマーでの植樹の計画が進行している。今年で、40周年を迎えた。こうなったら死ぬまでやるしかないと決めています。」と語りました。

陽光桜の親善大使の任命

最後に、こおり健太さんに、陽光桜の親善大使の任命書を高岡照海さんから送られました。
日本陽光桜交流協会では、2015年10月に、ミャンマーの仏教会、ミャンマー農民発展党、ミャンマー民族連合の主催によりミャンマー連邦共和国で行われる「終戦70周年平和の式典」において、この陽光桜の苗木の植樹を企画しております。寄贈者は、今回と同じさくら振興議員連盟と日本・ミャンマー友好議員連盟です。個人や企業からの寄付基金を募っております。皆様のご支援を期待しております。